ザクセンハウゼン強制収容所

26日朝方。
チェコを離れてドイツはベルリンにやってきました〜


ドイツでの目標はなんと言っても、美味しいソーセージにビールっていうことでやっております。



さてさて、ソーセージとビールはさて置きですね、



27日、ドイツベルリン郊外にあるザクセンハウゼン強制収容所という所へ行ってきました。



ここへ来た理由は、チェコプラハで少しだけユダヤ人迫害について触れて、

そうだ!!!!アウシュビッツ収容所へ行ってみよう!!!


と思い立ったからです。

なぜアウシュビッツ収容所ではないかというと、アウシュビッツはドイツではなくポーランドにあるということが判明して、これ以上ハードスケジュールは無理と断念し、
ドイツにも収容所があるので、そこに行こう!!!
ということで、ザクセンハウゼン強制収容所へ行くことになったのです。




ベルリン市内から電車で揺られること約40分。


ラニエンブルク駅という駅で下車し、とっても閑静な住宅地内を歩いていきます。


綺麗に整備された町で、都会のように高い建物があるわけでもなく、住むならこんなとこがいいな〜

なんて思いながら歩いてゆきます。


果たしてこんなところに収容所があるのだろうか・・・・という心配も少しありながら。


歩くこと約20分。


ザクセンハウゼン強制収容所に到着。


こんな閑静な場所に収容所があって少しびっくりしましたが、とりあえず入り口の写真。


ガイドが欲しいな〜と思っていたけど、
もちろん日本語ガイドがあるわけでもないので、断念しようとしたが、

でも!!!もしかしたら英語が理解できるようになっているかもしれない!!!


という淡い期待を胸に、スピーカーから流れてくるガイドレコーダーをレンタル。


果たして千晴のリスニング力はいかに!!!!





結果!!!!






全く理解できず。。。。


英語難しすぎるぜ、ベイベー。。。。


まだまだ修行の道は続きます!!!


全く聞き取れないガイドレコーダーを手に、広大な敷地約190haの土地を見学していきます。





この収容所は、1936年から1945年まで使われており、政治犯ユダヤ人などを主に収容していました。

最終的にザクセンハウゼンへ連れてこられた人の総計は20か国20万人を超えるという。
ものすごい数です。


収容所の周囲は高電圧の鉄条網と柵、さらに2.7mの高さの壁で囲まれていました。



そしてナチス収容所のお決まりの言葉という、

「働けば自由になる」

という言葉も、この施設の門についていました。






とっても広い敷地。
天気は晴れてるのにこの広さがなんだか寂しく感じるのは私だけだろうか・・・・


囚人たちはこのような車庫のようなところで暮らしていた。




施設内には色々な展示物もあり、当時の写真や資料がたくさんあった。

↑このベッドでたくさんの囚人たちが睡眠をとっていた。



中には収容所内で着ていた服も展示されている。



中を進むと突如、木の棒が3本が現れる。

ここではとても酷い刑が行われていた。
囚人を後ろ手で縛りつけてから吊るし上げ、何時間も放置していたと言う。





そしてガス室や人体実験を行っていた場所も公開されている。
扉の向こうがガス室


さらには亡くなった囚人たちを焼却する遺体焼却所、銃殺壕もある・・・・・


銃殺壕↓



当時を思うととっても生々しく、こうして淡々と文を書いてしまっている自分が嫌になるくらい。



でも、こうして日本から遠く離れたドイツの地で、私が体験したことを皆さんに伝えたいと思って、こうしてブログにしています。



高校の頃の沖縄修学旅行で、沖縄での戦争について勉強した。
当時、沖縄で生活していて、戦時中を生き抜いたおばあちゃんが私たちに演説してくれたことを思い出した。




「戦後60年が経って、この先、当時を生き延びた人はどんどんいなくなってしまう。
だけどこうして若いあなた達にこの話を伝えることで、当時のことを伝えていくことが出来る。どうかこの話を忘れずに、後世にも伝えていってください。」


そのときのおばあちゃん、涙ながらにそう話してくれた。



私達は戦争の恐ろしさ、人間の尊厳を無視した拷問など見たことも、もちろん経験したこともない。



だけど、そう遠くない過去にはそういうことがあったんだよね。


私達が忘れてはいけないことって世の中にはたくさんある。




そんなことを勉強した一日でした。


重いブログになってしまいましたが、今日も皆さんにとってよい一日になりますように。
HAVE A NICE DAY☆